第一話「揺れる黒髪」
「そうやって笑うの、疲れないッスか」
目の前の相手が、え?と小さく声に出して、そこで初めて、俺は自分が思っている事を口にしてしまったのだと知った。
―――数時間前。
柄にもなく鏡をじっと見つめ、そこに映る自身を舐めるように見た。
美容院で初めて入れてもらった前髪の赤色のメッシュ。
買ったばかりのシャツやストレッチの効いたテーパードデニムパンツ、おろしたばかりの通気性のいいスニーカー。
全てが普段と違い、これからの出来事を現実だと思わせてくれる。
しかし、浮足立っているのかそわそわして落ち着かない。
深々と息を吐いて、俺は己の頬を叩いて気合いを入れ直した。
「…っし!」
気合十分。
もう一度鏡を見て、笑顔を作ってみた。
何がなんでも、最高の日にしてみせる。
俺の瞳は久し振りに輝いていた。
待ち合わせは地元の駅前だった。
大都会の東京―――ではなく、少し外れた都会寄りの田舎に俺は住んでいる。
男子校に通っているのでなかなか出会いもなく、そのわりに周りの男共は彼女持ちという信じられない現実に嫌気が差し、某SNSで裏垢なるものを作ってみた。
その中で形成されたコミュニティは存外楽しいもので、齧りつくようにスマホの画面を見るようになった。
今思えば、世間一般的に言う「スマホ依存」だが、今日と言う日を迎えられたので何も問題はない。
そう、今日は女の子とデートなのである!!
……と言っても付き合ってはいないので、正確にはただのオフ会だ。
それでも男としては1対1で会うなんて舞い上がらないわけもなく。
恋愛に慣れていないので尚更である。
「11時…10分前か。もっと早い方が良かっ……」
ぽつりと零した言葉は、途中で途切れて消えていった。
既に待ち合わせ場所に相手が居たからである。
「いやいやいや早くね?!てっきり遅れてくるとばかり…」
慌てて隠れた建物の陰からそっと相手を見て、DMで貰っていた写真と見比べた。
間違いない、彼女だ。
雰囲気は若干違えど顔は同じで。
今時、写真は加工しているのが当たり前の世の中なので、雰囲気が違うのも頷ける。
小さく咳払いをし、彼女に近寄って声を掛ける。
「すみません、えっと……『のえる』さん、ですよね?」
のえる、と名を呼べば相手はスマホから顔を上げて、俺を見た。
上から下まで目で追って、柔らかな笑みを浮かべる。
品定めするような視線が気になったが、相手の可愛さにそんなことはどうでもよくなった。
「初めまして、のえるです。そういう貴方は、『SHION』さんですね?」
「は、…はい。そうです…」
彼女に自分のハンドルネームを呼ばれ、何だか急に恥ずかしくなった。
「SHIONさん、思っていたよりお若くて驚きました」
「俺は…のえるさんが大人っぽくて、びっくりしてます」
「ふふ。どういう意味かしら」
「いや!その、悪い意味じゃなくて!」
「冗談ですよ。私、行きたいところがあるんです。付き合ってくれますか?」
するりと自然に腕を組まれ、思わず息を飲んだ。
腕に柔らかな胸が押し当てられる。
女子ってこんなに平気で男と腕組むものなのか!?
しかしすぐに、それだけ意識されてないってことか…と思い直して内心、溜息を吐いた。
「えっと、何処行きます?」
「すぐそこの本屋と、ひとつ先の駅前にカフェがオープンしたのでそこに。それと、タメ口でいいですよ」
「じゃあ、タメで。つか、おしゃれッスね…」
「将来のデートの予行演習と思って、ね?」
「そ、スね…」
完全に脈無しだな、と諦めて一瞬真顔になる。
のえるさんと本屋に行き、暫くしてから移動し、隣駅前のカフェに入った。
「此処、ランチもやってるの。丁度お腹も空いたし、ご飯にしましょう。好きなもの頼んでくださいね」
「いやいや!俺が奢りますって!」
「ええ?お姉さんに恥かかせる気?」
「そ、そんなつもりじゃ、ないッスけど…」
「…じゃあ、ご馳走になろうかな」
くすくすと笑うのえるさんに俺は振り回されっぱなしだった。
席について注文してから、少しの間があって。
「こういうの、慣れていないでしょう?」
「え、」
ぎくり、と。
図星をつかれて俺は引き攣った笑みを浮かべてしまった。
「オフ会。このご時世だから尚更でしょうけど…案外、楽しいものでしょう」
「本当、恥ずかしい限りで…」
「気にしない、気にしない」
他愛も無い会話をぽんぽんと交していたが、俺は違和感を覚え、グラスの水を喉に流し込んだ。
「あはは。そんなに喉乾いてたんですか?緊張してます?」
「のえるさん―――…」
そして、冒頭に戻るのである。
あまりにも唐突だった。
俺自身の言葉に、お互いが硬直する。
言った俺も、言われたのえるさんも。
周りの声が段々と耳に入って来て、俺は我に返った。
「あ、の…すみません!失礼なことを言ってしまいました!忘れてください…!」
テーブルに勢いよく額をぶつけて謝罪する。
のえるさんは何も言わず、黙ったままだった。
少しして、彼女の小さな声が聞こえる。
「………ぅ…」
「……え?」
顔を上げた彼女は頬をほんのり染めて、笑っていた。
「最っ高…」
恍惚の表情を浮かべる彼女を見て、ぞくりと背を震わせ肌が粟立った。
あ。
やばい。
瞬時に本能がそう判断する。
「あ、あの、俺…ちょっと急用が…」
そう言って席を立てば、のえるさんが俺の鞄を掴んで離さなかった。
「ちょっ、なにっ…!?」
「まだご飯、食べ終わっていませんよ、SHIONくん。いえ…高垣 青空(あお)くん」
「…………え」
なんで、俺の本名…。
そう口に出しそうになって、腕を引かれ強引に着席させられた。
「……なんなんだよ、アンタ…」
睨みつけ、やや小声でそう吐き出せば、のえるさんは微笑む。
「ただの女子大生です」
語尾にハートを飛ばして、きゃっ、と軽く笑ってみせた。
あまりの胡散臭さに吐き気がして、その後に食べた食事の味があまり分からなかった。
( お題配布元:お題.com 様)